月曜日に暇だったので、見に行って来ました。
映画館は思ったより人が少なく、年配の方が多い印象でした。
家族連れも1組いましたが、 子供は退屈そうだったようです。
以後の感想はちょっとネタバレを含むと思います。


 風立ちぬは、「破滅的でありながら美しい」、そんな物語です。

そして、この作品ために作曲されたのかと 思えるほどの「ひこうき雲」とのシンクロニシティ。
この曲が、全てがズタズタに終わったあとのエンドロールに涙を誘います。 
そう、最後は主人公の二郎、ヒロインの菜穂子は戦争を仕掛けた日本もろとも破裂してしまったのです。
全てが破滅に導かれました。

しかし、私はおもうのです。
彼ら2人は精一杯幸せだったと。

二郎は、自分の「夢」に対して、実直かつ執着が強い。「夢」のためなら、菜穂子すら後回しにできる。
天才は往々にして、人間味に欠け、超然と立ち尽くしているのだ。
奈穂子は、やはり潔いというかそれを知っていてなお、二郎のために尽くす。そこが儚くも美しい。
今はなき日本人女性の美徳や矜持のようなものだろうか。

菜穂子は結核によって自らが「美しくなくなる」前に、彼との住まいを出て行ってしまう。
それは、菜穂子が二郎は「美しい」ものを愛すということを理解していたからだ。
だから、醜くなってしまう前に、姿を消そうとしたのである。

二郎も薄情だとかエゴだとか偽善だとか言われて実は傷つきながら生きている。
それすらも、奈穂子は理解していて、物語最後に、「あなたは生きて。」と言う。それが、「生きねば」につながる。
二郎は愛より夢をとったけど、それも奈穂子自身によって免罪された。
この時代、男は仕事をしてなんぼだったし、奈穂子は、それを理解している。
菜穂子は夫を支える妻として、そして運命の人と夫婦になれたことだけで、満足だったのだろう。

この作品は、二郎だけでなく、菜穂子のような昔の日本人女性への礼賛でもある。
そういう意味で、宮崎駿は、現代人に「生きねば」の問いを示そうとしているのだとおもう。
彼らを目指せと暗示しているわけではない。彼らは結局破滅へと導かれた。
ただ、彼らの生き方は麗しくも潔かったということは伝わってくるのである。  
私達はどう生きるのか。