ウィキペディアに載っていたインタビュー記事のリンク先が消えてしまっていたので、、、

 

当時のシステムソフトは、『ザナドゥ』や『イース』シリーズでおなじみの、東京・立川にある日本ファルコムと並ぶPCゲーム開発会社の大手。だが、そこへの入社はほとんどがコネでまかなわれていたという。だが、ゲリラ的な就職活動をしにきた日野さんのレベルの高い自作ソフトが認められてか、彼は入社試験を受けさせてもらえることとなった。その年の採用はたったの3人。そのひとりが、日野さんだった。だが、

「入社したら、『大戦略』のプログラミングができると思ってたんですが、会社の方針は違っていた。僕をプログラマーではなく、開発チームを管理するプロジェクトマネージャーにしたかったようなんです。当時の僕はプログラマーこそがゲーム制作者だと思っていましたから、プログラムが組めないんじゃこの仕事は違うなぁと、結局4カ月目に会社を辞めてしまいました(苦笑)。思ったことは、意地でもやり通す性格ですからね」


日野晃博 クリエイターインタビュー
↑続きはウェブアーカイブです。

日野さんは今でこそゲームプロデューサーとして、名をはせていますが、当時はバリバリのプログラマーでした。

私がここでひとつ思うことが、こうしたプログラマーとしての経験が全体を統括する上でも生きてくるということです。
業界は変わりますが、堀江貴文氏や孫正義氏などの名経営者も元々はこうしたプログラマーです。 
海外でも、元々プログラマーの名経営者は多いと思います。
それはなぜなのか少し考えてみると、優秀な方たちは大企業に行くので、マネジメントや折衝などができる方が多いと思います。
しかし、そういう優秀な方たちは得てして、マネジメントや折衝などに特化したスキルを持っているために、独立などがしづらい環境にあるのだと思います。
しかし、マネジメントや折衝だけでなく、製造(プログラミング)もできる人というのは、非常に独立しやすくなります。要するに、自分で終始把握できるからです。人に頼むときにおいても、経験があれば的確な指示ができます。
レベルファイブ代表取締役社長の日野さんは、そのような意味での典型例でしょう。